バイエルから始まったピアノ人生
ピアノをはじめた理由はごく単純。家にピアノがあったから。
裕福だったとか、そんなんじゃないんです。私には8つ上の歳の離れた兄がいます。
おもちゃのピアノをあまりにも熱心に弾くので、音楽好きなんだろうと考えた両親が
知り合いの方にお願いして、兄はピアノを習い始めたそうです。
どのくらいお稽古に通ったのでしょうか、今ではよくわかりませんが
わずかに1枚だけ、昭和らしい雰囲気の白黒の発表会の写真が残っています。
その後兄はピアノを辞め、家には両親が大枚をはたいて手に入れたYAMAHAのアップライトピアノだけが
残されていました。
女の子だから、ピアノ「でも」やらせておけば、将来は安泰、親は左うちわで暮らしていける・・・昭和40年代はそんな時代。
私の両親もよく、そんなことを口にしていました。猫も杓子もピアノを習っていましたから、ピアノの先生は繁盛していると
思われていたし、実際当時はそうだったのではないかと思います。
そういうわけで、兄のような可愛らしい、才能を感じさせるエピソードもないまま
残されていたピアノを活用するために私はピアノを始めました。
初めてピアノ教室に行った時のことを今もよく覚えています。もう50年以上前のことです。
駅前のビルの出入り口を開けると、そのまま一直線に薄暗い階段が伸びているので、靴を脱いで上がっていきます。
階段を上がり切った踊り場のドアを開けると、広い(子供だったので、広く感じましたが実際はどうだったのか・・?)部屋に
黒いアップライトピアノが置かれていて、白いワンピースを着た若い女の先生が出迎えてくれました。
その時から、私の長いピアノ人生が始まったのですね。
当時はバイエルから始めるのが定番。みんながよく言う「赤バイエル・黄バイエル」ではなく
私が持っていたのは表紙にピアノの鍵盤風のイラストと、小鳥の絵だったような。
調べてみたら、音楽之友社から出版されている「子どものバイエル」でした。見た目は覚えていた通りでした。
ちなみに赤バイエル黄バイエルも当時は実家にあって、こちらは全音版、兄が使っていたものです。
新版子どものバイエル(音楽之友社出版)
今見ても、バイエルはとても理にかなった素晴らしい導入本ですが
少し進みが早く、理解できないまま分かったつもりで進んでしまうと、修正がちょっと大変。
数小節の曲があっという間に長くなっていきます。
このバイエルで、先生が可愛らしいマルっとした几帳面な花丸を描いてくださるのがうれしくて
自分も花丸を描ける人になりたいと思ったのです。いや、ピアノを弾ける大人になりたいとは言わなかったのかいっ!と
ツッコミが入りそうです。というか自分で突っ込みたいです。
まだ小学校にも通っていない私は、赤鉛筆の花丸をかけるのは、ピアノの先生の特権だと思い込んで
「ピアノの先生になる!」と宣言してしまった(ああ!なんてことだ!)ため現在に至ります。
このバイエルから始まり、昭和時代の定番テキストを言われるままに片っ端から弾きました。
ハノンなど、繰り返しの練習でボロボロになり、後から買い替えました。
思い返せば、この初めてのピアノレッスンからわずか7年ほど後に、隣家からのもらい火で実家は火事になり
ピアノも楽譜も焼けずに残りましたが、消火の際の水でダメになりました。
今私が持っている楽譜本たちは、その後ピアノの先生がかわり、本格的なレッスンになってからのものだけで
幼い子ども時代の楽譜は一つも残っていません。
でも、不思議なもので、楽譜がなくてもどんな曲が揃っていたか、どんな挿絵が入っていたかをよく覚えています。
両親は2人とも90を過ぎて認知症、特に母は、一番近くで私のピアノに時間もお金もかけてくれていました。
演奏活動が忙しく、娘たちを預けなくてはならなかったときにも泊まり込みで来てくれました。
その間その間父は父で、自分の食事など自分の世話を独りでやっていてくれました。頭が下がります。
母が来られなかった時には、年上の友人にお願いしました。
多くの人の助けを得て、私は自分が好きなことを続けてきたのだと、改めて思います。
母はこの春からグループホームに入居し、今では私の仕事が何だったか、よくわからなくなっているかもしれません。
今、幼い生徒さんたちの様子を見ながら、自分のピアノの習い始めがどうだったのか振り返ってみました。
多くの方に支えられての音楽人生を過ごしてきたのだと感謝しかありません。