〈音の寄り道〉
〜私にとって音楽はなくてはならない大切な相棒。
ピアノに限らず、あらゆる音楽が幸せな時も泣きたい時も
ずっとかたわらにいてくれました。
音楽の旅の途中、ちょっとひと息。
No. 1
演奏と対話を通して深める“音楽の学び”
〜演奏者同士がともに見つめ直す、自分の音と表現〜
「演奏して終わりではなく、そこから何かを掘り下げる場を作りたい」
——そんな想いを持ち続け、ようやく大人のためのコンサートと勉強会を開くことができました。
前半・後半にわたって、演奏者同士が互いの音楽を聴き、
語り合い、学びを深めていくかけがえのない時間となりました。
「感じたことを言葉にする」ことで演奏は変わる
セミナーでは演奏の場に続き、参加者一人ひとりが自由に語る時間を設けました。演奏の感想を伝え合う中で
「選んだ曲は難しそうだと感じていたけれど、実際に弾いてみると意外と弾きやすい曲だった」
「タイトルの印象と曲の雰囲気がまったく違った」など、それぞれの体験が生きた言葉で共有されました。
また、「聴くことと弾くことのギャップ」や「身体および集中力の使い方」といった話題にも広がり、
技術的な側面と音楽的な解釈の両面での学びが自然と生まれました。
「物語を感じながら弾く」
ある方は、これまで楽譜通りに弾くことに意識が向いていた自分が、レッスンを重ねることによって
「曲の背景や情景をイメージする」ことを意識するようになったと話しました。
ある演奏では家族が涙を流したことも。その体験は、音楽が誰かの心を動かすという実感へとつながったようで
す。
私の方もまた、その成長を間近で見られるのが何よりの喜びであり、技術面だけでなく、内面的な変化をも含め
た音楽の学びを大切にしている姿勢を伝えられる絶好の機会となりました。
短い曲の中にある「深い挑戦」
今回多くの参加者が取り組んだのは、バリエーション形式や短い組曲。見た目にはシンプルに見えるものの、調
性の移り変わりや感情の切り替えが頻繁に現れ、高い集中力が求められるという声が多く聞かれました。
また、曲によっては「技術的には易しいけれど、音色の出し方や間の取り方など、細やかな表現が難しい」とい
った意見もあり、いかに“簡単そうな曲”に内在する課題が深いかを再認識する機会となりました。
楽譜を超えて、作品を感じ取る力
後半では、参加者が他の人の演奏を聴きながら「この部分、こんなふうに弾くともっと効果的かも」「この音が
何を意味しているのか考えてみたくなる」など、作品に対しての新しい見方が次々と生まれていました。
ある参加者は「見えていた“線”が、他の人の演奏を聴いて“面”になった気がした」と表現。これは、音楽をただ
縦横のリズムで捉えるのではなく、空間や構成全体の流れとして感じられるようになったという意味で、演奏経
験を積んだからこその気づきといえます。
音楽を「人と共有する」ことの意味
今回の勉強会の最大の収穫は、参加者がそれぞれ「他者の音楽に心を動かされた」瞬間を経験し、それを素直に
言葉にしたことかもしれません。
自分の演奏が「聴く人の心に届いた」と実感できることは、演奏者にとってこれ以上ない励みになります。そし
て、それを互いに言葉で伝え合える関係は、単なる“評価”の場ではなく、信頼と対話の場であることを感じさせ
てくれました。
終わりに〜
学びを共有することで音楽はもっと深くなる
音楽の学びは、練習やレッスンだけで完結するものではありません。今回は、自分の演奏を振り返り、人の演奏に耳を傾け、互いに語り合うことで、楽譜の先にある“音楽”と出会うことができました。
参加者それぞれが、音楽に対する理解と感受性を一段と深めたように感じられたこの日。
演奏を通じ、なかまとの対話の大切さを、あらためて実感させてくれる勉強会となりました。
No.2
「ポリーニが旅立った」
金曜日にも検索したばかりだった。
祈るような気持ちで・・・。
まだ大丈夫かな?コンサートはキャンセルになっていないかな?
高齢だから日本に来られるかどうかはどうでもいい、
まだ演奏活動が続けられていれば。
一番好きなピアニストなのに
なぜか一番好きなんだと公言することもなく
でもやっぱり、どのピアニストよりも好きだった。
文字通り擦り切れるまで聴いたレコードは
1976年録音のショパン・プレリュード。
ショパンのプレリュード後半が現役受験時の課題曲だったので
3枚のレコードを親に買ってもらった。
ポリーニの他にアルゲリッチとアシュケナージ。
恩師は常に、アシュケナージ推しだった。
理由は「正統的」で「学生が初めて勉強するのには適しているから」。
確かにそう思う。
でも私が恋してしまった演奏は、圧倒的にポリーニだった。
生意気にも、きっとショパンはこのように演奏することを
望んだに違いないと思った。
他にもことあるごとに、多くはショパン(エチュードとか)だったけれど
この3人の演奏を聴き比べ
「はあ〜・・・やっぱりポリーニ・・・」とため息を漏らしていた。
その後、リサイタルを聴く機会を得て
初めて生のポリーニの音に触れた。
オール・ベートーヴェン・プログラム
30歳以下のチケット代で聴かせてもらえた。(この後ポリーニはずっと長く、青少年のためのコンサートを続けた。)
電気が走ったような衝撃だったことを
今も鮮明に覚えている。
この時から一番好きなピアニストから
私にとっての唯一無二のピアニストに格上げ。
その後月日が経ち
レコードからCD、iPod、サブスクで音楽を楽しむというように
時代が変わっていくにつれて
世界との距離が狭まり
会ったことはないけれど、SNSを通じて
ミラノ在住のマウリツィオという名前の
音楽や文学を語り合う友達ができた。
こうして私はますますイタリアについて興味が湧き
イタリア語をかじったり、イタリア人の友人が増えたりと
自分の世界が広がったことを感じている。
原点にはピアノがあり
道筋にはポリーニがいてくれたことを心から感謝している。
亡くなったという報にショックで
昨夜から頭の中はポリーニ一色。
何も手につかないけれど
感謝の気持ちを書き残しておきたかった。
アバドが亡くなった時も、1週間立ち直れなかったから
今度は1ヶ月は引きずるかも・・・と思いつつ
ポリーニはアバドやミケランジェリとの再会を
喜んでいるかもしれない。
Buon Viaggio Maestro.
Mille Grazie di cuore・・・・・
(2024年3月24日にNOTEに載せた記事の加筆修正)
No.3
「松﨑 禅さんのこと」
2025年3月の終わり頃
とてもユニークなお問い合わせがありました。
要約すると「ピアノを貸してください」
パリ・コンセルヴァトワールの学生さんという方が
日本に一時帰国する間、1週間ほど練習できるピアノを探しています、という内容でした。
はて、どうしたものか・・・と少し考え、春先で体調を崩していたのでお返事が遅くなってしまったのですが、我が家の古いYAMAHAでよければどうぞお使いください、と返信しました。
それから夏までに、10回ほどメールでやりとりしたでしょうか。1日何時間まで弾いていいか、何時までならOKか、などなど。
マスタークラスをしてくださるとまでお申し出くださり、ありがたくお願いして、気づけばあっという間に7月になっていました。
ドキドキワクワクの1週間が始まりました。
自転車のにって現れた禅さんは、本当にお人柄のよい好青年で、とてもフランクにお話される素敵なピアニストです。
実は、自分がピアノを弾けないとか、レッスンができない1週間になるので、私はパソコンと睨めっこの、事務仕事週間にしようと決めていました。
ところがです。
実際に禅さんが扉の向こうで練習を始めたら、私の方は全く仕事がはかどらず、気づくと手が止まっていて練習の音に入り込んでしまっていました。
ああ、今はこんなことを研究しているな、分析中だな、パーツを磨いているな、この音色を練っているな・・・。
長い時間、ほんのわずかな休憩をはさみながら練習は続きました。
歌う・歌う・歌う練習。歌っている歌声が絶えません。
本当に得難い1週間でした。日曜には禅さんのピアノが聴こえなくなったことが寂しく感じられました。
金曜日にマスタークラスをお願いし、翌日がピアノをお貸しする最終日でした。練習のお邪魔になるかも、と遠慮しつつ
よければお茶を、とお声がけして少しお話させていただきました。
お話してみると、共通の話題もたくさんあって楽しく、驚くこともありました。
今はパリとジュネーブを行き来しながらの学生生活を送りながら
ジュネーブでは小さい子どもへの出張レッスンをしているそうです。
練習をずっと聴いていて印象的だったのは
ずっと歌声が聴こえていたことでした、と申し上げると
「歌なので歌わないと」とのお答え。本当にその通りだと思います。
しかも、低めのバリトンですごくいい声。
また、音楽家専門の整体師(アルゲリッチとか!)に体を診てもらった話も
おもしろく聞きました。やはり体が大事なのですね。
夢のような1週間、私のピアノは気持ちよく歌い続けて状態が変わりました。
このままでいて欲しいです。
さて、25日に来られなかった方に
松﨑 禅さんの演奏はこちらから聴けます。
リゲティ; エチュード No.3
https://youtu.be/G7PP5nlRGgQ?si=SvZEEn8KF2WXxuoF
ベートーヴェン; ソナタ2番
(ラジオ番組で、禅さんの演奏は50:00辺りから)